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五藤光学 3吋単軸赤道儀

ブランド: 五藤光学研究所
光学系: 屈折
口径: 78mm
焦点距離: 1200mm
架台形式: 赤道儀
年代: 1959年以前
備考: 長谷川氏寄贈品

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カタログや天文月刊誌の広告を調べたところ、1951年、昭和26年前後に五藤式三吋単軸(MES)として掲載されています。MEは単軸の意味でSは微動装置付きを表すとのこと。
カタログ記載データ:口径78㎜、焦点距離1200㎜、アイピース4個付き 倍率は天体用30×~200×。地上用40×ファインダー6倍、視野角6°。価格90,000円。(文部省斡旋価格82,000円)

*昭和26年4月大卒程度の国家公務員初任給が5,500円ですから、軽く年収を超える価格であることがわかります。現在の価値だと300万円くらいなのでしょうか。

単軸赤道儀とは?
単軸という聞き慣れない形式の赤道儀です。普段よく目にする一般的なドイツ式赤道儀(フラウンホーファー型)は、赤経軸と赤緯軸の2軸で、鏡筒の反対側にバランスをとるためのウェイト軸が1本ついています。

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単軸赤道儀は、経緯台を緯度の分だけ傾けた構造と言われています。経緯台の方位回転が赤経回転に、高度方向の回転が赤緯方向の回転になります。鏡筒のバランスをとるために、赤緯の回転軸から左右に分けて2つのウエイト軸が出ています。

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赤経は全周微動。

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赤緯微動のハンドルは直棒

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赤緯の微動はタンジェント・スクリューの部分微動になっています。

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東西方向の微動、固定装置付き

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水準器

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クランプ、高度微動・固定装置

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大型の蝶ネジ

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鏡筒には直接ネジ留めされています。
このネジですが真鍮製のようでとても滑らかです。

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(口径未計測)

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ファインダーは6倍 

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アイピース(接眼レンズ)差し込み口は、締め込み式です。
コストをかけて作っていることがこれだけでもわかります。

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アイピース3本 HM6㎜、12.5㎜、25㎜とサングラス

レンズ確認してみました。

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汚れとカビが発生しているようです。
このまま放置すると悪化する恐れがあるので、すぐに洗浄することにしました。

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流水でほこりの粒子を洗い流してみましたが、まだ汚れがあったため手洗泡石鹸で洗浄してみました。

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ほぼ、きれいになりました。

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セルも簡易清掃し、組み立てを行います。

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充分、実用になるはずです。

 


このようなとても貴重な望遠鏡ですが、それにふさわしい方の望遠鏡であることもわかってきました。

炭谷恵副(スミタニケイフク)氏
1902年(明治35年)〜1979年(昭和54年)教育者。

東京都本郷区松倉町で長谷川政治郎の長男として生まれる。
東京帝国大学理学部卒業後文部省震災予防調査会に在籍するが、坂出市の炭谷家を継ぐ。
1928年(昭和3年)香川県女子師範学校兼坂出高等女学校教諭となる。
のち1946年(昭和21年)以来坂出高等女学校、香川、観音寺第一、丸亀の各高等学校校長を歴任。
1962年(昭和37年)坂出市教育長となり四期16年務める。
1977年(昭和52年)勲四等旭日小綬章受賞。
著書:小学校教材を中心とせる気象学


追記:2016年6月13日
会員が観音寺第一高校の創立80年記念誌と100周年を調べたところ、炭谷氏は,観音寺第一高校の第2代校長として1950年(昭和25年)3月31日に着任し、1956年(昭和31年)10月1日に離任しています。
観音寺第一高校は、1949年(昭和24年)に三豊高等学校と三豊女学校が統合して、4月に開校しています。初代校長は,その際、三豊女学校の校長が転任というかたちで着任しています。その翌年に、炭谷氏が着任しています。そして、天文部の記事には「昭和25年、部の活動が非常に盛んで、大学入試の準備に差支えるほど活動するものが数多く出た。」という注目すべき内容が載っています。
また、この五藤光学三吋単軸赤道儀は1951年(昭和26年)前後に販売されていますので、炭谷氏が観音寺第一高校の校長時代に個人的に購入されたと思われます。

観音寺第一高校は伝統的に天文部の活動がさかんで、現在に引き継がれています。そして数多くの天文アマチュア、天文教育家を輩出しています。

炭谷校長の赴任と五藤光学三吋単軸赤道儀の存在が、当時の天文部の隆盛をもたらしたのかも知れません。
1950年前半に観音寺第一高校天文部に在籍していた方に当時の様子をお聞きしたいものです。


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この望遠鏡の保存は香川県坂出市の炭谷家の方から、古い自宅を取り壊すことになり、その家の中に古い天体望遠鏡があるので、保存価値のあるものかどうかを見て欲しいとの連絡がきっかけになりました。
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取り壊し予定のご自宅書斎からは写真のような図書カードもでてきました。

また、炭谷氏はそれぞれの時代の先端機器にも興味をお持ちだったようです。

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ご家族のお話を伺ってみると、望遠鏡を使って、生徒達に天体をみせていたとのことでした。
香川県における天文教育の先駆者であるとともに、我々天文アマチュア、また望遠鏡マニアの大先輩でもあります。事実、当館会員のK氏は元校長ですが、教職に就いて初めて子供達に対する科学教育において薫陶をうけたのが、炭谷恵副先生だったそうです。

天体望遠鏡博物館には炭谷恵副先生の展示コーナーがあります。

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2016年7月13日追記 
当館会員の片山氏は炭谷恵副先生が坂出市の教育長をされていたころに教員になり、炭谷恵副先生のお話を伺ったことがあります。そのころのエピソードです。

炭谷恵副 先生の思い出

私が新米の教師になって、坂出市に赴任したのが昭和50年代の初期。その当時の坂出市の教育長が炭谷先生でした。ほぼ40年も前のできごとにも関わらず先生の講話は今も記憶に残っています。

それは市内の中学校の科学体験発表会で、私が勤めていた学校から、「潮の満ち引きの調査」を行って、その結果を生徒たちが発表したときのことです。そのとき炭谷先生が出席されており、最後に講評をして下さいました。
炭谷先生は、「生徒達が調査した満ち引きのデータとともに、月と地球の位置関係を調べて、関係づけながら考察すれば、もっと研究が広がるのではないか」と講評して下さいました。そして地球の潮汐作用が、地球の自転と月の公転の影響にあることを何か、楽しそうに話されました。
後から,他校の理科の先輩教員から、「炭谷教育長は地学の先生なんですよ」という話を聞かされ、なるほど、と納得したのを覚えています。
多くのことが記憶からは消えかかっている中で,不思議とこの科学体験発表会でのことは覚えています。駆け出し教員の私には、炭谷先生は全く雲の上の人で、直接、話ができたりするような存在ではありませんでした。直接、先生から発表内容についてコメントいただいたことが、よほど強く印象に残ったのだろうと、自分なりに勝手に解釈しているのです。
それともうひとつは、炭谷先生が新規採用教員に対して行った指導講話のときです。その語り口は大変穏やかで、優しそうに話されていたことが印象に残っています。
たった2回、講話をお伺いしただけなのですが、炭谷先生の展示物の前に立つ度に、遠い昔、自分が教員に成りたての頃のことが、ぼんやりと浮かんできて、不思議な感覚にとらわれるのです。

天体望遠鏡博物館 片山敏彦


 

 

 

 

 

 

 

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