博物館スタッフお奨めの貴重な望遠鏡

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400年を超える天体望遠鏡の歴史において、昭和時代の日本製の小型望遠鏡は世界を席巻し、輝きを放ちました。その足跡を示す天体望遠鏡がいくつか当博物館にはあります。

五藤光学研究所製1インチ屈折経緯台

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望遠鏡が発明されて約400年。初めの300年ほどは一部の専門家の観測機器として発達してきましたが、19世紀末から20世紀の初頭にかけてレンズや反射鏡の製造技術が大きく向上しました。

日本では屈折望遠鏡が主に軍事目的のために開発され、反射望遠鏡は主として学問的な要求から進化して、一般民衆が利用する機会も広がってきました。

そのような流れの中で、屈折望遠鏡の製作を得意とする東京の五藤光学研究所、反射望遠鏡の製作を得意とする京都の西村製作所、東西の望遠鏡メーカーが奇しくも同じ1925年に創業し、一般に向けて天体望遠鏡の販売を開始しました。

この望遠鏡は、その五藤光学研究所の初めての記念すべきモデルです。

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五藤光学研究所は日本光学工業の社員だった五藤斎三氏が設立したのですが、この望遠鏡はその翌年に発売されました。対物レンズは日本光学工業から提供を受けた1枚構成のレンズで、今のレンズに比べると収差がたいへん大きなものでしたが、月のクレーター等も観察できたので、商売として料金を取って公開していたとの記録もあります。

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さらに2年後には、現在の望遠鏡と比べても遜色のない収差の少ないレンズを搭載した望遠鏡を発売。五藤光学研究所は全国の教育施設などに望遠鏡やプラネタリウム等も納める光学機器の総合メーカーとしての地位を確立していきました。

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関西光学工業製 カンコー15㎝CG型反射経緯台

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昭和15年、第二次世界大戦に突入する前年に京都で関西光学研究所が生まれました。

設立メンバーは京都大学、西村製作所の反射望遠鏡技術を習得した面々で、その技術をより発展させる高い目標を有していました。
設立後すぐに大戦に突入したわけですが、光学兵器として反射双眼望遠鏡等の特殊な望遠鏡を作りながら大戦を乗り越え、戦後、社名を関西光学工業としながら夢を引き継いでいきました。
オーソドックスなニュートン式反射望遠鏡の精度向上を目指す西村製作所とは趣を異にし、数々の特殊なスタイルの反射望遠鏡を世に送り出しました。

その一つがこのカンコー(関西光学工業の略称)CG型(カセグレイン式/グレゴリー式切換型)反射経緯台です。

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レバー一つでカセグレイン式(焦点距離1350㎜)グレゴリー式(同2400㎜)を切り替えられ、光路を主鏡の前で90度曲げて筒の上に覗き口を持ってきた他に類を見ないものです。この光学系では、望遠鏡を真上に向けた時でも覗き易く、レバー操作で倍率や像の正立、倒立を切り替えることができます。

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ただ、優れた設計ではありますが、基本性能の問題か宣伝のわりにほとんど売れなかったようで、幻の望遠鏡と言われておりました。滋賀県の宮沢氏からご寄贈頂きました。

日本精光研究所製 ユニトロン6インチ屈折望遠鏡

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日本精光研究所のPOLAREX/UNITRONブランドの望遠鏡(以下ユニトロンと呼ぶ)は、1950年代から米国天文雑誌の後表紙を飾り、後に国産の天体望遠鏡が世界の市場を席巻する先駆けとなったブランドです。

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しかし国内においては、マニアの方でも1970年台に日本の天文雑誌に広告を掲載するまで国産であることを知らない方もいらっしゃったとか。
このユニトロンの良さは、美しい形状と卓越したメカニズムで工業製品としての機能美を感じるところです。販売が終わって20年以上経過した現在でも世界中にたくさんのファンがおり、彼らが集う米国の専用サイトも盛況です。そのラインナップでも、最大の望遠鏡であるこの6インチは国内で3~4台、世界中でも十数台しかない希少な望遠鏡です。

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天体望遠鏡博物館には、このユニトロン6インチのフルセットが1台、鏡筒が1本あります。前者は関東で、もう1つは九州で発見・入手しました。
どちらも静岡県を発祥とする宗教団体が保有していたものと思われます。この団体は昭和30年代全国に天文台を作り、四国では徳島県の池田町と眉山にありました。

一台をクリーニングした際、塗装の下から「四国天文台」の銘が現れました。四国に里帰りしたことになります。

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高橋製作所製TS65P型屈折赤道儀

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この望遠鏡は、日本の小型天体望遠鏡の方向性を示すきっかけとなった1台です。

1970年頃から広がり始めた星野写真の撮影は、特に架台の精度を求めるものでしたが、この頃の一般的な小型望遠鏡は、一般受けする低価格や高倍率をうたうばかりで、光学性能や架台の強度などの面で満足できるものは、ごく一部にしかありませんでした。

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この流れに満を持して投入されたのが、高橋製作所のTS式シリーズです。その中でも特に特徴的に時代を動かしたのが1972年12月に発売された、このP型です。
P型は望遠レンズ付きの重いカメラを乗せても十分な強度を有する架台、高い光学性能の新型対物レンズ、収納や操作のしやすい短い鏡筒などに加えて、極軸望遠鏡を内蔵(おそらく国産初)していました。極軸望遠鏡を内蔵することで、それまではほぼ不可能だった高精度の設置が数分で可能となり、星野写真撮影の効率と品質を飛躍的に向上させます。

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それ以降の国産天体望遠鏡は、この望遠鏡と進む方向を同じくして進化し、現在では玩具級を除く小型望遠鏡のほとんどは極軸望遠鏡を内蔵しており、設置の簡便さと追尾精度を競っております。

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注)極軸望遠鏡:赤道儀架台の極軸を、地球の自転軸に平行に設置するための望遠鏡。

星野写真では、星を点として写すために日周運動を高い精度で追尾する必要があり、そのために極軸を平行に設置することが必須となります。

 

PDFでダウンロードできます。(1.8M)

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天体望遠鏡博物館

開館日

開館日

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